果てしなく続く1本道、非日常の景色が私をどこまでも連れていってくれました。
(今年のエサヌカ線、朝一番で気持ちよく晴れ渡った情景が見る者を圧倒します。)
さて、今回は彼女に歌って貰いたい曲をお休みして、9月6日に起こった北海道
胆振地方を襲った地震の影響で、全道が長時間に渡って停電してしまった状況の
中で自分の実体験談をお伝えします。
ことが起こったのは6日(木曜日)午前3過ぎ、震度2くらいの地震で目がさめましたが
そんなに激しい揺れでもなかったのでそのまま布団の中でうつらうつらしていたら
突然部屋の灯りが点灯しました。その時はちょっと変だと思いながらもその蛍光灯を
消してまた就寝してしまいました。(それがこんなことになるなんてその時はこれっぽちも
思いませんでした。)
朝7時頃にようやく起きて、朝のトイレに入り便座に座った瞬間あれ?っと感じ嫌な
予感が脳裏をかすめました。
いつもなら電気で暖められているはずなのに故障かなと思い、灯りのスイッチを点けて
みるも反応なし、あれれ?ブレイカーでも落ちたのかと配電盤を見るが問題なしで
やっと停電であることを理解しました。
しかし、その時はこんなに大事件が起こっているなんて思いもよりませんで、たかが震度2
くらいでなんで停電しているんだ?と不思議な思いでいたところ、ちょうど固定電話が
架かっているのが微かに解り受話器を取りました。(現在の電話はほとんどが電子音で
電話がかかってきた事が解るので、離れているとまず解らないでしょう。これマメ知識です)
電話は東京の叔母からで、札幌のほうで震度6強(このときは、まだ震度7の報道が
されていませんでした。)で大変なことになっている事を知りました。
ま、この時点でテレビや新聞などの情報機関が全てダメな状況でしたので、特に離れた
場所にいる人との連絡をとり外部から情報を得るのは有効手段と覚えておいたほうが
良さそうです。
この時点でも、特にこれといって身近に被害が有るわけでも無いので2~3時間くらいで
自分の所の停電は復旧すると勝手に考えて特に対応は何もしませんでした。
(自宅にいても扇風機も動かないので、開陽台に涼みに行ってました。)
しかし、夕方くらいになり流石におかしいと思い隣町に住んでいる叔父に連絡をとって
初めて全道が停電状態で復旧は未定であることを知りました。
これは??マズーイことが起こってしまっていることがジワジワと実感してきました。
まず考えたことは、灯りの確保です。
ちょうどキャンプで使っている電池式のランタンが有ったのでほっと一息もつかの間、
電池切れしていて予備が2本のみ、これから買いに行くのもどうかと思いダメもとで
2本のみ交換(通常は4本セット)してみたところ、かろうじて点灯しました。
続いて考えたのは、食料をどうするか?です。
冷蔵庫の食材で傷みやすいものを優先的に選んで食べて行くことが有効と考えて
まず、フリーザに有る物、冷凍庫の中でも解凍してしまったら真っ先に傷んでしまう
物をピックアップしました。
夕暮れから夜が訪れるまでが料理の時間で、暗がりの中で料理をするのは大変危険を
伴うのでなるべく早め早めの対応が良いと感じました。
(今回は電気が無いだけで、水道やガスが生きていたのでちょっとホッとしましたが、
これが断水などになると状況が一変するので、SNSのデマなどに踊らされず冷静な
対応が求められますねホント)
夕食はいつになく豪華な物になりました。(お正月用に買ってきたカニもあえなく胃袋に
収まった次第だし、ウーンもったいなかったが捨てるよりましだなこれは・・・)
それにしてもこの日は終日良い天気だったので、久しぶりに夜空の星が綺麗に輝いて
いたのがせめてもの救いになりました。
2日目、相変わらず復旧のメドは立っておらず朝起きても便座は冷たいまま、
新聞がやっと届いて号外みたいなペラペラ枚数で大きな写真が踊っているのが、
事故の重大さを伝えていました。(電気がなくても全道に配れる新聞は凄いですね)
あと、携帯事情についてですが、6日午前中まではネット接続できていましたが、午後
からは接続不可で通話も圏外になってしまってほとんど役にたたずといった感じでした。
携帯基地局は電源が4~5時間くらいしか持たないみたいで、それを過ぎたらアウトと
思っていた方がよさそうです。(しかし充電は万が一回復したときのためやっていた方が
よさそうです。)
続いて、まる一日たってしまった冷蔵庫はすでにただの鉄のハコとかし、冷凍されていた
食材のほとんどが解凍を余儀なくされてしまって、真っ先に魚と肉をどうするかを
考えました。(なるべく捨てるということを減らしたいですね)
まずは魚を焼き物、お肉はフライにして2日くらい持つように作りました。
後は、電池と氷を買いに行き(かろうじて買えましたが、氷はいつもの2倍で販売して
いてこんな時に足下みる様な事すんなよなほんとにと思いましたがね。)
町は信号のほとんどが消えているので、交差点ごとに神経使いますよ、それとガソリン
はのきなみ完売続出でどこにいってもダメでしたが、車が生命線である地方なので
これはいたいです。(電源が回復しても入荷できない状況がヤバイです。)
新聞報道では、40%以上が復旧したと伝えていましたが、我が家はいっこうに回復する
気配が有りません。
しかたなく午前中に作った大量のフライを夜のおかずにぬるいビールを飲んで8時くらい
には就寝しました。
電気が回復したのは午後11時くらいでしたが、いやー長い夜でしたよ今回はほんとに。
後記、日曜日にちょっとコンビニを覗いたら冷蔵・冷凍ものは一切なしで、かろうじておにぎり
だけが並べられていました。(全てが復旧するにはさらに数日を要するすのが確実だと
感じました。)
(今年のエサヌカ線、朝一番で気持ちよく晴れ渡った情景が見る者を圧倒します。)
さて、今回は彼女に歌って貰いたい曲をお休みして、9月6日に起こった北海道
胆振地方を襲った地震の影響で、全道が長時間に渡って停電してしまった状況の
中で自分の実体験談をお伝えします。
ことが起こったのは6日(木曜日)午前3過ぎ、震度2くらいの地震で目がさめましたが
そんなに激しい揺れでもなかったのでそのまま布団の中でうつらうつらしていたら
突然部屋の灯りが点灯しました。その時はちょっと変だと思いながらもその蛍光灯を
消してまた就寝してしまいました。(それがこんなことになるなんてその時はこれっぽちも
思いませんでした。)
朝7時頃にようやく起きて、朝のトイレに入り便座に座った瞬間あれ?っと感じ嫌な
予感が脳裏をかすめました。
いつもなら電気で暖められているはずなのに故障かなと思い、灯りのスイッチを点けて
みるも反応なし、あれれ?ブレイカーでも落ちたのかと配電盤を見るが問題なしで
やっと停電であることを理解しました。
しかし、その時はこんなに大事件が起こっているなんて思いもよりませんで、たかが震度2
くらいでなんで停電しているんだ?と不思議な思いでいたところ、ちょうど固定電話が
架かっているのが微かに解り受話器を取りました。(現在の電話はほとんどが電子音で
電話がかかってきた事が解るので、離れているとまず解らないでしょう。これマメ知識です)
電話は東京の叔母からで、札幌のほうで震度6強(このときは、まだ震度7の報道が
されていませんでした。)で大変なことになっている事を知りました。
ま、この時点でテレビや新聞などの情報機関が全てダメな状況でしたので、特に離れた
場所にいる人との連絡をとり外部から情報を得るのは有効手段と覚えておいたほうが
良さそうです。
この時点でも、特にこれといって身近に被害が有るわけでも無いので2~3時間くらいで
自分の所の停電は復旧すると勝手に考えて特に対応は何もしませんでした。
(自宅にいても扇風機も動かないので、開陽台に涼みに行ってました。)
しかし、夕方くらいになり流石におかしいと思い隣町に住んでいる叔父に連絡をとって
初めて全道が停電状態で復旧は未定であることを知りました。
これは??マズーイことが起こってしまっていることがジワジワと実感してきました。
まず考えたことは、灯りの確保です。
ちょうどキャンプで使っている電池式のランタンが有ったのでほっと一息もつかの間、
電池切れしていて予備が2本のみ、これから買いに行くのもどうかと思いダメもとで
2本のみ交換(通常は4本セット)してみたところ、かろうじて点灯しました。
続いて考えたのは、食料をどうするか?です。
冷蔵庫の食材で傷みやすいものを優先的に選んで食べて行くことが有効と考えて
まず、フリーザに有る物、冷凍庫の中でも解凍してしまったら真っ先に傷んでしまう
物をピックアップしました。
夕暮れから夜が訪れるまでが料理の時間で、暗がりの中で料理をするのは大変危険を
伴うのでなるべく早め早めの対応が良いと感じました。
(今回は電気が無いだけで、水道やガスが生きていたのでちょっとホッとしましたが、
これが断水などになると状況が一変するので、SNSのデマなどに踊らされず冷静な
対応が求められますねホント)
夕食はいつになく豪華な物になりました。(お正月用に買ってきたカニもあえなく胃袋に
収まった次第だし、ウーンもったいなかったが捨てるよりましだなこれは・・・)
それにしてもこの日は終日良い天気だったので、久しぶりに夜空の星が綺麗に輝いて
いたのがせめてもの救いになりました。
2日目、相変わらず復旧のメドは立っておらず朝起きても便座は冷たいまま、
新聞がやっと届いて号外みたいなペラペラ枚数で大きな写真が踊っているのが、
事故の重大さを伝えていました。(電気がなくても全道に配れる新聞は凄いですね)
あと、携帯事情についてですが、6日午前中まではネット接続できていましたが、午後
からは接続不可で通話も圏外になってしまってほとんど役にたたずといった感じでした。
携帯基地局は電源が4~5時間くらいしか持たないみたいで、それを過ぎたらアウトと
思っていた方がよさそうです。(しかし充電は万が一回復したときのためやっていた方が
よさそうです。)
続いて、まる一日たってしまった冷蔵庫はすでにただの鉄のハコとかし、冷凍されていた
食材のほとんどが解凍を余儀なくされてしまって、真っ先に魚と肉をどうするかを
考えました。(なるべく捨てるということを減らしたいですね)
まずは魚を焼き物、お肉はフライにして2日くらい持つように作りました。
後は、電池と氷を買いに行き(かろうじて買えましたが、氷はいつもの2倍で販売して
いてこんな時に足下みる様な事すんなよなほんとにと思いましたがね。)
町は信号のほとんどが消えているので、交差点ごとに神経使いますよ、それとガソリン
はのきなみ完売続出でどこにいってもダメでしたが、車が生命線である地方なので
これはいたいです。(電源が回復しても入荷できない状況がヤバイです。)
新聞報道では、40%以上が復旧したと伝えていましたが、我が家はいっこうに回復する
気配が有りません。
しかたなく午前中に作った大量のフライを夜のおかずにぬるいビールを飲んで8時くらい
には就寝しました。
電気が回復したのは午後11時くらいでしたが、いやー長い夜でしたよ今回はほんとに。
後記、日曜日にちょっとコンビニを覗いたら冷蔵・冷凍ものは一切なしで、かろうじておにぎり
だけが並べられていました。(全てが復旧するにはさらに数日を要するすのが確実だと
感じました。)
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